植木屋へのお茶出しについて
お茶を出すべきか
地方によって違いはあると思いますが、庭師(植木屋)は10時・12時・15時に休憩をとります。このときにお茶を出すべきかどうかという話なんですが、最近は「お茶は出さなくて結構です」とホームページなどに明記しているところが多くなっています。事の是非はともかく、いまや植木屋もサービス業なので、それが標準なのかもしれません。
Kirikuiでもお茶は出さなくていいとお伝えしています。それでも、お茶を用意してくださる方は少なくありません。時間を見計らって用意してくださる方、時間など気にせずおおらかに「お茶どうぞ~」と声を掛けてくださる方、クーラーボックスに入れていつでも飲めるようにと準備してくださる方、朝一番に出してくださる方、作業完了後に出してくださる方、「帰りの車で飲んでください」と持たせてくださる方など、いろいろな形がありますが、そのどれが一番ということはなく、どれもが同じように嬉しく、有り難いことだと感じています。
お茶は出さなくていい。だけど……
考えてみれば、お茶というツールを使って相手の労をねぎらい会話のきっかけとするというのは、かなり高度なコミュニケーション術だと言えます。これは成熟した大人のふるまいで、子どもには真似できません。
僕が偉そうに言うことではないのですが、お茶を出すことを若い人にこそ勧めたいと思います。お茶を出せば職人がよく働いてくれるとかそんなレベルの話ではありません。そうではなくて、お茶を出すというような小さなことの積み重ねがその人の人間としての器を大きくするからです。これは僕が言っているわけではなく、作家の池波正太郎が言っていることです(『男の作法』)。
やり方はどうだって構いません。作業が終わったときに、缶コーヒーを渡すだけでも十分だし、飲み物である必要もありません。そのちょっとした心遣いが、巡り巡って世の中に良い影響を与えます。
たとえば、お茶を出された庭師は気分よく帰りの車を運転するでしょう。横断歩道で待ってる人がいれば止まってあげるかもしれないし、お店の駐車場から出てくる車に進路を譲ってあげるかもしれません。次のお客さんのところに行っても、いい仕事をしようと思うはずです。水に投げた小石によって波紋が広がるように、一服のお茶が波及効果を生むのです。
無理をする必要はありません。出せないときは出さなくていいんです。「お茶なんか出して引き止めたら迷惑かも」という心遣いだって素晴らしいと思います。お茶を出さなくたって職人は喜んで仕事をするから心配は無用です。
ただ、折角の機会、植木屋が来るというだけで面倒かもしれませんが、その面倒ついでにお茶を出してみましょう。そうして、一言二言会話を交わす。そういう些細なことが、大袈裟に言えば、人生を豊かにしてくれるのではないかと思います。