ジャルディニエ・キリクイの庭しごと

神奈川で庭づくり・庭の手入れをしている小さな会社、キリクイのブログです。

庭師を志した理由① ——造園の世界へ

子どものころの夢は覚えていません。聞かれれば「プロ野球選手」と答えるようにしていましたが、なれるなんて全然思っていませんでした。庭師なんて存在すら知りませんでした。

大学4年生の就職活動

職業についての明確な目標があって大学に入ったわけではありませんでした。学問的興味と言えば聞こえはいいのですが、「おもしろそうだな」というぼんやりした理由で文学部を選びました。大学3年生の夏が過ぎると周囲でも就職活動の話題が多くなってきて、僕も卒業後の進路を考えるようになりました。

当時は若者らしい正義感のようなものを持っていたので、新聞記者になろうと決めました。そのための準備として、まずは過去のスター記者たちの本を片っ端から読むことにしたのですが、彼らの文章から、社会正義や信念のためには自分が所属する組織とも戦う心意気が必要だというメッセージを受け取ってしまいました(そう書いてあったかどうかは覚えていないけど、とにかくそう思ってしまったのです)。そうなると、会社に入るために筆記試験や面接の準備をすることがなんとなく良くないことのように思えてきます。何しろ会社とは緊張関係にあらねばならないのです。試験傾向や採用担当者に響く自己PRの書き方、面接での発言の仕方なんかを研究したりせず、生身でぶつからなければならない――。そんなわけで、ろくろく準備もせず全国紙2社の試験に臨み、案の定どちらからも声が掛かりませんでした(そりゃそうだ)。

今から見れば、ずいぶん思い上がった態度だと思います。この挫折で少しは反省したかと期待しますが、その時の僕は、いま新聞社が入れてくれないのなら、しばらく新聞記者では経験できないことをやって、またこの道に戻ってくればいいと軽く考えていました。

卒業してから

20代は修行期間と決めていろいろやるつもりでいました。

卒業後、以前から興味のあった農業の現場を見たいと思い、農業体験生として北海道の農家に住み込ませてもらうことにしました。アスパラ収穫の最盛期で、早朝から昼まで鎌を持ってアスパラを収穫し、午後はサイズ別により分けて出荷準備、合間にイチゴやカボチャの植え付けをしました。来る日も来る日もアスパラで、夢にまでアスパラが出てきました。馬がいたので、その世話と馬小屋の掃除も仕事のうちでした。

戻ってきてからは6畳一間のアパートで一人暮らしを始めました。工事現場の交通誘導員や引っ越し作業員をして日銭を稼いで暮らしました。1年くらいはテレビもなかったと記憶しています。その後、コミュニティペーパーを発行する会社で広告営業と編集の仕事もさせてもらうことになりました。営業成績はぱっとしなかったのですが、取材してそれを記事にするのは楽しい仕事でした。そこを辞めて地方新聞社の中途採用試験を受けたのですが採用されず、しばらく失業保険をもらいながら、文豪と呼ばれる人たちの作品を読み、古い映画を観るばかりの生活をしていました。そのうち貯金も底をつき、いつまでも仕事をしないわけにもいかないので、小中学生を対象にした学習塾の講師の仕事に就きました。子どもたちのエネルギーと柔軟性に刺激を受ける日々は、思いのほか楽しく、あっという間に過ぎていきました。

造園の世界へ

20代も半ばを過ぎ、新聞記者へのこだわりは薄くなっていました。話の通じない相手などいくらでもいて、言葉が万能ではないこともよくわかりました。インターネットの普及で誰でも発信できる世の中になったことも影響しています。当時も今もジャーナリストに対する期待の気持ちは変わらないけど、どうしても自分がやらなければならない仕事だとは思わなくなっていました(だいたい、どこも雇ってくれないし)。

振り返ってみると、農業、森林保護、環境汚染、エネルギー、地域通貨など、その時々によってテーマは変わってきたのですが、自然と人間のかかわりについての関心はずっと持ち続けていました。この延長線上に、庭の仕事が視野に入ってきたのです。

京都の名庭を見て感動したとか、花が咲き乱れるイングリッシュガーデンにあこがれてとか、そういうきっかけではなかったので、どちらかと言えば不純な動機で庭の世界に入ったと言えます。僕にとって庭は手段であって、目的ではありませんでした。仕事をしているうちに庭そのものにも魅せられていくことになりますが、そもそもの動機は、庭を媒体(メディア)として、思いを表現し、人と人あるいは人と自然との関係性を築きたいというものでした。

もうひとつ、庭の仕事をするようになった個人的な理由があります。コンプレックスと言ってもいいかもしれません。子供のころから勉強ができて、まじめな優等生タイプでした。でも、社会に出ればそんなこと関係ありません。頭でっかちで、自分の手が何もできないことについてずっと不安を感じていました。身体を使って働かなければならない、そんな思いに突き動かされたことも庭の仕事についた理由の一つでした。力持ちでも、体力自慢でもないし、そこそこ器用なところはつくづく職人向きではないと感じるけれど、考えることと身体を動かすことは車の両輪みたいなもので、今の僕にとってはどちらも欠かすことのできないことになっています。

塾講師を辞め、エクステリアと庭を設計する会社に入社しました。これが造園の世界での第一歩となりました。

 

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